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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)3054号 判決

控訴人・原告 斉藤竹三郎

訴訟代理人 尾原英臣

被控訴人・被告 入船運送有限会社 外一名

訴訟代理人 平沼高明 外三名

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を左のとおり変更する。

被控訴人らは各自控訴人に対し金一六万七、五〇八円とこれに対する昭和四三年三月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原審におけるもののうち控訴人と被控訴人らとの間に生じた分及び当審におけるもの全部を二〇分し、その一を被控訴人らの連帯負担とし、その余を控訴人の負担とする。

三  この判決は第一項中金員の支払を命ずる部分に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人らは連帯して控訴人に対し金三〇七万六〇八〇円とこれに対する昭和四三年三月一六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、原判決事実欄記載と同一である(原判決五枚目裏五行目中の「引張れる」は、明らかに「引張られる」の誤記とみられるので、そのとおりに訂正する。)から、これを引用する。

証拠〈省略〉

理由

一、訴外田中タセが昭和四一年一二月一三日午前九時三〇分頃東京都板橋区赤塚町一二六番地先横断歩道上において、被控訴人大塚尚の運転する普通貨物自動車(足一い五一八六号)(以下「加害車」という。)にはねられる交通事故(以下「本件事故」という。)に遭い、これに基づいて死亡したことは、当事者間に争いのないところである。

二、そこで、まず、本件事故が被控訴人大塚尚の過失に起因するものであるかどうかに関して考えるに、成立に争いのない乙第一号証の一、二、その説明文に記載されたとおりの写真であることについて争いのない同号証の三の一ないし六および原審における被控訴人大塚尚の本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)によると、次のような事実が認められる。

本件事故は、川越街道と通称されている道路の車道上を、被控訴人大塚尚が加害車(最大制限量一一トンを超過する一四・八〇五トンの荷台を積載していた。)を運転して川越方面に向つて進行中に発生したものであるが、右道路は、本件事故現場付近において、幅員一六・六メートルのアスフアルト舗装された車道とその両側の各幅員四・二メートルの歩道とに区別され、被控訴人大塚尚の進路に向つてゆるやかな下り坂となりやや左に曲つているものの殆んど直線に近い状態で、十分に見通しがきき、本件事故当時には路面は乾燥していた。訴外田中タセが渡ろうとしたのは、東京都公安委員会の設置にかかるペイント塗装により鮮明に標識された、信号機のない横断歩道であつて、本件事故現場付近においては、車両運転の時速が高速車および中速車のいずれについても五〇キロメートルに制限されており、車両の交通量のやや頻繁な個所である。

被控訴人大塚尚は、先行車との間に約三〇メートルの距離を取り時速約四〇キロメートルで加害車を運転して本件事故現場の手前に差しかかつたところ、犬を連れた訴外田中タセが黄色の旗を前に掲げながら被控訴人大塚尚の進行方向左側から車道を横切ろうとして、折柄駐車中の小型トラツクの蔭から前記横断歩道内に一歩程踏出したのを約二四・二メートル前方に発見したので、危険を感じ急いでブレーキを踏み、制動をかけたままの体勢で若干前進したところ、横断中の訴外田中タセが車道の左側車線の中央部辺り、加害者の前方約一六・四メートルの地点で一瞬立止まるような気配を感じさせたもののそのまま歩行を続けたため、反対側車線上を走行して来る対向車との衝突もやむをえないものと覚悟して、ハンドルを大きく右に切つて訴外田中タセをかわそうとしたけれども間に合わず、急ブレーキによる加害車のスリツプ痕を反対側車線に向けて斜めに二条(右車輪のもの一一・三メートル、左車輪のもの一〇・四メートル)残しつつセンターラインを少し越えた横断歩道上において加害車の左後車輪により訴外田中タセを轢過し、停止した対向車に加害車の左前部を接触させて自らも漸く停車するに至つた。

前掲被控訴人大塚尚の本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

してみると、被控訴人大塚尚には、本件事故の発生につき、横断歩道により加害者の進路の前方を横断し又は横断しようとする歩行者のある場合における横断歩道の直前における一時停止及び歩行者の通行不妨害の義務(当時施行されていた道路交通法第七一条第三号、現行の法文では第三八条第一項後段の規定による。)に違背するのみならず、同法の規定を離れても、歩行者のある横断歩道の直前における徐行により事故の発生を予防すべき自動車運転上の一般的注意義務をも怠つた過失があるものといわなければならない。

被控訴人らは、訴外田中タセも、加害車に全く気付かず、連れていた犬にのみ注意を取られて、犬に引かれるような形で傍らの車両の蔭から横断歩道上に飛出したことにより本件事故に遭つた点において過失の責を免れえないものと主張するけれども、前記認定によつて明らかなとおり、訴外田中タセは、信号機の設置されていない横断歩道を黄色の旗を掲げながら車両の絶え間を縫つて渡ろうとしたものであることにかんがみるときは、たとえ同人において横断の途中で一瞬停止の気配を示したことがあつたとしても(上掲被控訴人大塚尚の本人尋問の結果によれば、訴外田中タセの右停止の気配は、同被控訴人が本件事故の発生後に当時の状況を想起してそれを感じたという程度のもので、訴外田中タセにおいて事実そのような気配を示したものであることを認めうる証拠はない。)本件事故の発生について訴外田中タセにも過失があつたものとは解し難いものというべきである。

さすれば、被控訴人らの右過失相殺に関する主張は理由がなく、本件事故に基づく損害につき、加害車の運転に当つた被控訴人大塚尚は不法行為者本人として、加害車を自己のため運行の用に供していた者であることが本件当事者間に争いのない被控訴人入船運送有限会社は自動車損害賠償法第三条の規定によりそれぞれ賠償の責に任ずべきものである(被控訴人入船運送有限会社に免責事由のあつたことを認めうる証拠はない。)と解すべきである。

三、よつて進んで、本件事故に基づいて訴外田中タセ及び控訴人の蒙つた損害について判断する。

(一)  訴外田中タセについての損害

(1)  逸失利益

(イ) 原審における証人村上俊男の証言によると、訴外田中タセは、かねて訴外白子測器株式会社に工場住込の留守居として雇われ、昭和四一年四月以降においては、一ケ月金二万三、一〇〇円の給料を得ていたほか、毎年夏季及び年末に通算して一ケ月分の給料の一・八倍の賞与を支給されていたこと、右留守居の仕事は老令者でもこれに従事することが可能なものであるところから、同会社においては健康の許す限り訴外田中タセの雇傭を継続するつもりであつたし、同人は時折神経痛のため医療を受ける位のことがあつたものの特に右勤務に耐えられない程の健康状態ではなかつたことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はない。さらに、前掲証言によると、訴外白子測器株式会社は訴外株式会社ナルミ商会に合併されたことが認められるけれども、後者の訴外田中タセに対する処遇が従前と異つたことを認めうる証拠はない。そして成立に争いのない甲第二号証によれば、訴外田中タセは、明治三六年一月二日生れであることが認められるので、本件事故の発生した昭和四一年一二月一三日当時には、あと二〇日で満六四歳を迎える年齢(巨視的にいうなれば満六四歳)に達していたものであり、厚生省発表の第一二回生命表によると満六四歳の女性の平均余命年数が一五・三〇年であることにかんがみ、なお少くとも六年間は前記会社において働けるだけの労働能力を有していたものとみるのが相当であるから、その間において前記給料及び賞与の年額合計金二二万八、七八〇円の六ケ年分に相当する収入を得べかりしものというべきである。

(ロ) 成立に争いのない甲第六号証、同第五号証及び同第一〇号証によれば、訴外田中タセは、亡田中清蔵の妻(両者の身分関係は前掲甲第二号証によつて認められる。)として年額金八万四、七四九円の遺族年金(戦傷病者戦没者遺族等援護法の規定によるものであることが弁論の全趣旨により知りえられる。)の支給を受けていたほか、厚生年金保険の被保険者の資格を有しており、本件事故発生の当日右資格を喪失したものとして老齢年金の受給権を取得したものとすればその年金額は金一三万八、五七八円となるべきものであることが認められる。

ところで、戦傷病者戦没者遺族等援護法三一条によると遺族年金の受給権は本人の死亡により消滅するものとされており、厚生年金保険による老齢年金の受給権についても厚生年金保険法第四五条において本人の死亡がその消滅の原因に挙げられているので、これら受給権は、いずれも被控訴人らの主張するとおりいわば一身専属権であり、民法第八九六条但書の規定により相続の対象とはなりえないものというべきである。そこで、かような性質を有する遺族年金又は厚生年金保険による老齢年金の受給権を有する者が他人の不法行為のため死亡した場合に、被害者が右受給権に基づいて現に得ていた又は将来得べかりし収益を得られなくなつたことによる損害をいわゆる逸失利益に当るものとして、その相続人においてこれにつき賠償を請求することができるかどうかに関して考察する。

不法行為に基づく損害の一種としての逸失利益とは、被害者の稼働能力が毀損されたため、もしもそのような事態が発生しなかつたならば本人において本来取得しうべかりし収益を喪失したことによる損害を意味するものである。飜つて、戦傷病者戦没者遺族等援護法の規定による遺族年金は、同法第二四条によつて明らかなとおり、軍人軍属等の死亡を契機として、その者によつて生計を維持し又はその者と生計をともにしていた遺族に対する損失補償ないしは生活保障のために支給されるものであつて、これに基づく収益は受給権者の稼働能力には全くかかわりのないところのものである。さらに、厚生年金保険による老齢年金も、厚生年金保険法がその第一条において、同法の目的を、労働者の老齢、廃疾、死亡又は脱退について保険給付を行い、労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するにあると定めていること、その他同法第四四条の規定内容にかんがみれば、受給権者本人及びその者の収入に依存する家族に対する損失補償ないしは生活保障のために支給されるものであるけれども、受給権者の稼働能力とは無関係に得られる収益であるというべきである。

してみると、右のような遺族年金又は老齢年金の受給権者が他人の不法行為によつて死亡したことに伴つて受給権が消滅し、受給権者において将来についての遺族年金又は老齢年金の支給を受けられなくなつたとしても、これをもつて不法行為の被害者の得べかりし利益の喪失としてその賠償を請求することが許される筋合いではないといわなければならない。もつとも、遺族年金又は老齢年金の受給にかかる収入によつて扶養されていた者が第三者の不法行為に基づく受給権の消滅のため右のような扶養利益を侵害されたとしてこれに関する賠償を請求しうるかどうかは自ら別個の問題であるところ、控訴人が訴外田中タセに対しかような立場にあつたものでないことは原審における控訴人の本人尋問の結果に徴して明らかであるのみならず、本件において控訴人はそのような趣旨の請求をしているものでもない。

(ハ) 叙上のとおりであるから、本件事故に関して訴外田中タセの逸失利益としてその賠償を請求することができるのは、前示(イ)の給料及び賞与収入の喪失のみに限られるものといわざるをえない。

ところで、原審における証人村上俊男の証言により認められるように、訴外田中タセが本件事故当時居住していた工場内の部屋の使用料及び光熱費については勤務先の会社に負担してもらつていたこと、その他同人の死亡当時における年齢等諸般の事情を勘案して、同人の生活費は一ケ月平均にして金一万五、〇〇〇円、年額金一八万円とみるのが相当であるから、同人の逸失利益額を算定するに当つては、この生活費を同人の得べかりし収入金額から控除すべきものである。しかしながら、訴外田中タセは、既述のとおり、訴外白子測器株式会社を合併した訴外株式会社ナルミ商会においてなお就労しえたものと認めるべき六年の間には、給料及び賞与として一ケ年分合計金三一万八、七八〇円の収入以外に、年額にして金八万四、七四九円の遺族年金の支給を受けえたものである(老齢年金については、訴外田中タセが前記会社に使用されなくなつたことにより厚生年金保険の被保険者の資格を喪失した時に始めてその受給権が同人に生ずるものであることが厚生年金保険法第四二条及び第一四条の規定上明らかである。)から、訴外田中タセの一ケ年間における生活費金一八万円については右遺族年金の年額受給金八万四、七四九円と右給料及び賞与の一ケ年分収入中金九万五、二五一円によつて支弁されたものとして、同人の年間純収益は右のとおり給料及び賞与収入のうち生活費の一部を差引いた残額金二二万三、五二九円とするのが最も衡平に適し妥当であるというべきである。そしてその金額から期間中における年五分の中間利息を控除する方法として複式ホフマン式計算法を採り「法定利率による単利年金現価総額表」における五・一三三六〇一一八の指数に従つて計算すると、訴外田中タセの本件事故に基づく六ケ年分の逸失利益として現時点において一時に賠償を請求しうる金額は金一一四万七、五〇八円となる。

(2)  慰藉料

訴外田中タセが本件事故によつて精神的苦痛を受けたことは当然であるから、同人はこれについての賠償を請求する権利すなわち慰藉料請求権を取得したものというべく、これが放棄されたことを認めうる証拠はないところ、上記認定のような本件事故発生の状況、訴外田中タセの本件事故当時における年令、健康状態、平均余命年数、稼働推定年数、原審における控訴人の本人尋問の結果によつて認められる訴外田中タセの学歴、経歴、本件事故発生当時における子供もない未亡人としての弧独な生活の実情のほか、本件事故に基づいて同人の蒙つた損害については、控訴人において自認する自動車損害賠償責任保険金一五〇万円が支払われた以外に被控訴人らから賠償の措置が講ぜられていない等の諸般の事情を斟酌すると、訴外田中タセに対する慰藉料額は金三〇万円をもつて相当とすべきものである。

(二)  控訴人についての損害

(1)  葬儀費用

原審における控訴人の本人尋問の結果により成立の真正を認める甲第七号証の一ないし一六、一八ないし三五、成立に争いのない同号証の一七及び右本人尋問の結果によつて控訴人が本件事故に基づく訴外田中タセの死亡に伴つて支出した各種費用のうち、本件に顕われた諸般の事情に徴して訴外田中タセの葬儀費用としては、金二〇万円が社会通念上相当な金額であると認めるべきである。

(2)  弁護士費用

控訴人がその主張のごとく本訴の追行を弁護士尾原英臣(原審以来における控訴人の訴訟代理人)に委任しそのための費用として金二〇万円を支出したことを認めうる証拠は全くないけれども、本訴の提起及びその追行につき控訴人において同弁護士に対しいずれ相当額の着手金、報酬等の支払をしなければならないことはこれを推定するに難くないところ、現在に至るまでの訴訟の経過、本件における控訴人の請求額及びそのうち当審において認容される後述の額(いずれの場合についても弁護士費用に関するものを除く。)等諸般の事情を勘案すると、本件についての弁護士費用として控訴人において賠償を請求しうる額は金二万円の限度に止めるのが相当である。

四、成立に争いのない甲第一号証と原審における控訴人及び第一審原告斉藤義雄の各本人尋問の結果によると、訴外田中タセには、戸籍上弟として控訴人のほかに第一審原告斉藤義雄同新発田秀雄が、妹として第一審原告笹川キクヰがいるが、右第一審原告らと訴外田中タセとの間には戸籍に記載されるような身分関係は真実存在しないことが認められるので、訴外田中タセが本件事故によつて死亡したことによる相続は控訴人のためにのみ開始したものというべきである。

してみると、控訴人は、本件事故に基づく損害の賠償として、訴外田中タセより相続したところにかかる同人について生じた逸失利益(前掲三の(一)の(1) に判示したとおりその額は金一一四万七、五〇八円である。)及び精神的損害(前掲三の(一)の(2) に判示したとおりその額は三〇万円である。)に関するもの並びに控訴人自身について生じた葬儀費用(前掲三の(二)の(1) に判示したとおりその額は金二〇万円である。)及び弁護士費用(前掲三の(二)の(2) に判示したとおりその額は金二万円である。)に関するものを合わせた金一六六万七、五〇八円から、控訴人において受領ずみであることを自認する自動車損害賠償責任保険金一五〇万円を控除した残額金一六万七、五〇八円及びこれに対する本件事故にかかる被控訴人大塚尚の不法行為の後であることが明らかな昭和四三年三月一六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を被控訴人ら各自に対して請求することができるものというべきであり、控訴人の本訴請求は、右の範囲においてこれを認容し、その余を棄却すべきものである。

よつて、控訴人の本訴請求をその全部について棄却した原判決を変更すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条及び第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原正憲 裁判官 西岡悌次 裁判官 青山達)

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